FC2ブログ

記事一覧

大水車と長宗我部信親公の墓所。5/15九州の旅2日目その1

この日は、大学生の頃からの念願を叶えられた記念の1日となりました。
やっと、ついに、長宗我部信親公の墓所と
戦死した戸次川の戦い跡を訪ねました\(*^▽^*)/やった~ 
IMGP5029.jpg


大分県佐伯市道の駅やよいでの1夜は南北両方からトラックのアイドリングが響いてましたが、それを予想して停車した位置が功を奏し、普通に寝られました。広大な駐車場スペースのおかげです。
 IMGP4952.jpg
でも年寄り、、、もとい熟年者の朝は早い。

とともに旅の高揚感で、アドレナリンがフルスロットル状態でして(笑)
しかも朝から絶好の観光日和。寝てらんないですわ。で、5時起きでしたw
 IMGP4951.jpg
泊仲間は13台ほど。夜は真夏夜並みに暑かったから網戸を全開したら、朝方は冷え込む。
シェラフの上にもう一枚シェラフを掛け布団替わりにして凌ぎました。
これ便利ですね。暑けりゃ蹴り退けたらいいし(笑)

この日最初の訪問先は、突如大水車の郷になりました。
昨日走行してるとき、国道看板に頻繁に出て来た「大水車の郷」の表示が気にかかっていて…。
信親公に詣でる前に行き当たりばったり、気まぐれをしてみるか、まだ7時だし。ということで
IMGP4972.jpg
かなり水のキレイな番匠川を上流へさかのぼること20分くらいだったでしょうか。
専用駐車場に停めて眺めますと、

まっこと!こりゃデカイぜよ!
IMGP4962.jpg

ちゃっかり大水車を背景にしてニタついてますw
しかし…な〜んか、違和感が…
IMGP4971.jpg

この水車、動いてないやんか (*`^´)<怒怒怒

IMGP4981.jpg
台風被害により破損中」、「危険ですので近づかないで」ですって。
遅〜い!もうとっくに近づいてますがな(//∇//)

行ってみたら休業中とか、度々経験しますけど。誘導看板を掲げているなら、途中の1箇所でもいいから「破損中」とかワッペンを貼り付けて、修正しておいてくれるのが責任というもんじゃないでしょうかねえ。

まあ、大きな水車があったことには間違いないけど…ねえ (^▽^;)
ちなみに、この水車は現在では国内4番目の大きさになってるそうです。

何でか河童さんがいっぱい居てますけど、謝ってくれてんのかな?
IMGP4983.jpg
グチ聞きカッパ!?
皆さんのグチを聞きますと言われても、当方は既に愚痴言って済んでますがな (*´▽`*)

IMGP4984.jpg
どういう謂れかわかりませんが、このキャンプ場も兼ねた河畔は、ようわからんことが多いですわw
IMGP4973.jpg
ともあれ、この番匠川は九州一の清流の名に恥じない流れでした。いつまでも保全されますように。


いよいよ念願の長宗我部公園へ、大分市中戸次に向かいます!
国道10号をひたすら進むのみ。約2時間も走りますと国道のど真ん中に看板が。
ありがたいことです<(_ _)>
IMGP5037.jpg
イクリプスの馬鹿ナビなんぞは「目的地の近くです。ガイドを終了します。」ときたもんですわ。ホンマに使えん奴。
ただ、看板の最下方の「0.2km →」を見逃してしまい、迷ったという次第。

要は写真の赤信号を右折して、峠に上がって行けば良いだけだったんですがね。

でもまあ、産みの苦しみがあらばこそ、喜びも倍増ってなもんで
嬉しさのあまり、捲れたシャツを直しもせず、悦に入って写真に収まってますがね〜(●⌒∇⌒●)
IMGP5014.jpg

長宗我部信親公とは、もう少し生きていてくれたらどれほどのことを成しただろう?って期待度150%のプリンスです。
以下、以前のカキコをコピペしておきます。(長いんで飛ばしてくださいw)
四国を統一した長宗我部元親の長男で名前の「信」は信長よりもらったもの。「背の高さ六尺一寸(約184cm)」、容貌は「色白く柔和にして」「詞すくなく礼儀ありて厳ならず」と記され、知勇兼備の武将であったといわれており、走り跳びで2間(約4m)を飛び越え、飛びながら刀を抜くこともできたという超人的武勇を持ち、文武に優れ礼儀正しく、家臣や土佐国の民からの人望も厚かったというまさに「気は優しくて・・・」を絵にしたような武将。
司馬遼太郎は著書「夏草の賦」で、信親のことを[匂やかな、白梅の香るような若君。容貌は色白で、性格は柔和で家来に優しい。無口だが、口を開けば言葉遣いが美しい。信親と接触した他国のものも「元親どのが死んでも、信親どのの代でさらに長宗我部家は大きくなろう」と悦服するものが多数]と書き綴っています。
この、父元親をして「わずかにわしが(信親に)優っているのは、経験が深いだけ」と言わしめ、織田信長からも養子に迎えたいとまで言われた長宗我部家の絶対的プリンスが、無能で狭量なゴンベエの指揮により、わずか22歳で700名の直属部下とともに全滅したのが戸次川の戦いなわけです。
なんせ明治の元勲田中光顕でさえ、先祖が信親とともに戦死したことを誇りにしていたというくらい、衆望を一身に集めたプリンスと次世代を支えるホープ700名を1度に失ったのですから、長宗我部家が滅亡に向かうのも必至だったのです。

墓地までの道のりは、横道に入りまして
  IMGP4992.jpg
曲がって直進しますと、遠目に一般の方の墓地が
  IMGP4993.jpg

その入り口に鎧塚がありました。
IMGP4996.jpg
銃弾や槍刀でズタズタになった信親公の鎧がここに埋められたのですね。
今にして思えば、草の1本でもムシってくるのが信親ファンたるものの務めでした。抜かった。無念。

遠方に見えます大きいのが慰霊碑です。
IMGP4997.jpg
傍らには信親公と戸次川合戦の説明があります。
IMGP5000.jpg

さすがに墓地で写真をパシャパシャというのは気が引けまして・・・手を合わせながら

信親公のお墓にお参りできました。身が引き締まりました!
IMGP5005.jpg
だってお墓のすぐ横には、たくさんの石仏が主君を守るように屹立しているんですよ。

実はこちらがお墓だろうかと間違いかけましたが、石が新しいですもんね。
それに傍らの小さな石には裏面に森鴎外の叙事詩の一部が刻まれてるから違いますよね。
IMGP5003.jpg

若くして逝った土佐の英雄の卵の墓を長い間守ってくださってる地元の方に頭が下がります。
IMGP5012.jpg

そして、合戦のあった場所は現大野川の堤、今やひっきりなしに車が通る国道10号の脇にありました。
IMGP5033.jpg

現代人が毎日ジョギングで汗を流してる場所で凄惨な戦いが繰り広げられたのですよねえ。
IMGP5022.jpg

こんな川を敵の目前で冬の寒い中に堂々と渡って、勝てるわけないやんか!イクリプス仙石権兵衛めが!
IMGP5024.jpg
信親公がせめてあと15年生きていて、関ヶ原に参戦していたら・・・勝とうが負けようが、きっと名を中原に・・・。
ロマンは尽きませんけど、40数年来の望みを達成できて感慨もひとしおでした。

信親公の墓地を忘れ去ることなく保全してくださっている地元の方々に、再度大感謝です。
ありがとうございます。
今回は感情移入が激しすぎましたかねえ。失礼しました<(_ _)>

名残惜しいけど11時も回ったし、原尻の滝へ転進でござんす。



うれしいブログがてんこ盛りです。
お時間が許せば是非!どうぞ!です。

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

コメント

No title

お早うございます。
念願かなって、最高の旅になりましたね(^_^.)
人それぞれに思い入れはあるもの・・・
それを40年以上も抱き続け念願を叶えたマイヤーさんに大拍手です!

おやじさん ありがとうございます。

いや、お恥ずかしい。

今までにも佐伯市辺りには何度も行ってるので
足を伸ばせば良かったのですが、勤め人の時はなかなかで。

でも、達成する時って意外と呆気なくやれますね(笑)

コメントの投稿

非公開コメント